復興(1944-1963)

西暦 元号 出来事
1944 昭和19年

軍医不足という社会的要請を受け大学付属医学専門部を開設し、463名の人材を輩出(~1951年)

醫学徒報國隊

1945 昭和20年 5月24日、空襲により医学部・病院施設の約6割焼失
1945 昭和20年 8月15日、終戦
1946 昭和21年

基礎医学教室、武蔵野分校へ移転(~1956年春)

武蔵野分校

1948 昭和23年

病院本館竣工(戦後最大の木造建築2階建、153病床)

病院本館玄関

病院本館受付

1950 昭和25年

エール大学ロング教授らを招聘し、CPC(臨床・病理症例検討会)開始

1950 昭和25年 電子顕微鏡研究室開室
1950 昭和25年

医学部附属厚生女子学院開設

医学部附属厚生女子学院卒業式

1952 昭和27年

新制大学医学部発足
"The Keio Journal of Medicine"創刊

病院本館(木造)を臨む医学部全景

1952 昭和27年 北里柴三郎博士生誕100年
三四会より第一回北里賞授与
1955 昭和30年 進学課程2年、専門課程4年の戦後の教育体系確立
1956 昭和31年 大学院医学研究科(博士課程)設置
1958 昭和33年 慶應義塾創立100年記念式典
1961 昭和36年 米国チャイナ・メディカル・ボードの寄付を受け、基礎医学第二校舎竣工
1963 昭和38年 病院中央棟竣工